人工登攀の終焉 :委員のつぶやきコラム

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人工登攀の終焉

1966年(昭和41年)7月10日、黒部別山大タテガビン南東壁正面壁鵬翔ルートを丸山隆司、竹内昌博、徳永邦光の3名で初登攀した。
ルートは、基部から登攀終了点まで全長480M、グレード「4級・A1」。
この初登攀を契機に、南東壁は次々と新しいルートが、人工登攀(エイドルート)で開拓された。

その当時は「ヒマラヤ鉄の時代」と云われ、岩壁にハーケンやボルトを打ち込む事は、ルートの難易度を下げない限り、抵抗感が無かった。
しかし、高所登頂も無酸素が当たり前となり、岩壁登攀も前進の為の人工を排し、ルートのフリー化、即、人間自身の力で攀じる思考へと進化した。
クライマーにも、自然環境保全の理念が浸透した証左であろう。
自然は人間の畏敬の対象でもある。

徳永邦光